——皆さんやはり“コミュニケーション能力”が重要だというふうにおっしゃるんですが、コミュニケーション能力と一言で言っても、いろいろあると思うのですが、ただ単純に喋りたいことを喋るだけがコミュニケーションではないですし、もちろん聞くだけでもないですし。

杉谷:そういうことなんですよね。そうなんですよ。

――そこで、先生が考えられる“コミュニケーション能力”というのは、どういったものがその“コミュニケーション能力”に必要かというふうに思われますか?

杉谷:これはでも、ある程度の年月がたたないと無理っていう側面もあるんですよね。僕が研修医のころ、それから5年目、8年目、10年目ってだんだん年月を経るにつれて、なぜか、医者としてのオーラみたいなのが出てくるんですよね。
お医者さんとして頼もしくならなければ、患者さんも信頼してくれないだろうから、
なかなかコミュニケーションと言っても難しいけど、研修医の先生は研修医の先生なりに、若手のハツラツとした感じっていうのですかね、そんなものがやっぱりあるわけだから、やっぱりハツラツとしてほしいですよね。

――ハツラツ。

杉谷:何か喋っていて、診察してもらった後に何かすがすがしさみたいな、そういったものが残せる人であるといいですよね。そういった意味ではやっぱり、元気がいい人がいいですね。何でも思ったことはきちんと言えて、でも、相手の気持ちにも耳を傾けられて、元気なのがいいな。

――なるほど。
話は変わりますが、先生は現在、医師16年目ということなんですが、そもそも先生はなぜ医師を目指されたんでしょうか。

杉谷:僕、昔は学校の先生になりたかったんですよね。

――そうなんですか?

杉谷:はい。小学校のころは学校の先生になりたかったです。小学校で、やっぱりそれだけいい先生に出会ってたのかもしれませんね。こんな学校の先生になりたいなっていう。昔の先生は厳しかったですからね。

――厳しい先生いましたね。

杉谷:厳しい先生だったけど、でも、その先生が嫌いにはならなかったちゅうとこを見ると、やっぱその先生が人間として厚みがあったんだろうなという。
中学校に入っても、高校に入ってもやっぱりいい先生、多かったけども、最初はやっぱり学校の先生になりたかったですよね。

杉谷:そこから、なんで医者かというと「赤ひげ診療譚」ってありましたっけ?そんな本。あれ、読んでからかなあ。友達に勧められて読んで、こういう先生になれたらいいなって思って。僕は、本来はそういう医療過疎地域とか、そういうところに行って、お医者さんをやるのが夢でしたね。

※『赤ひげ診療譚』(あかひげしんりょうたん)は、山本周五郎の時代小説。1958年(昭和33年)に『オール讀物』3月~12月号に連載された。

――赤ひげと言えば、小石川ですよね(笑)

杉谷:そう(笑)あの人はそういう市民のところまで下りていってっていうのも、偉いんですけれど、一流の知識や技術を持っているんですよね。その上で、それを幅広い人にちゃんと施せるという。Drコトーもしかりですよ。Drコトーもあの人がやっぱり自分を犠牲にしてあの島で頑張るっちゅうのは、それはすごいんだけど、でも、腕は一流です。もちろん患者さんのことにもきちんと配慮できるわけですよね。ああいう医者がもしおったら、次の人生でぜひなりたいなと思います(笑)今はもう年だから、駄目なんですけれどもね。もう40超えてきたけん、あかんのかなと思ってます(笑)

――いやいや、今からでも全然遅くはないと思います。

そういう中で、先生個人でもけっこうですし、指導医の立場での視点でもけっこうなんですが、先生のこれからの目標や夢っていうのは、どこにありますか。
杉谷:僕の目標なあ…。
非常に小さなものから言ったら、若手の先生にばかにされないようにしようと思ってね。今、41でしょう。で、もう10年ぐらいしたら50歳になるでしょう。50歳になった時に若手の先生から「なんだか、杉はわけ分からん」とか言われないような先生にならんと(笑)

そのためには、やっぱり最新の医学知識や技術に関しては、ついていかないといけないなという。今のままでいいやと思ったり、力をキープすればいいと思った時点で多分そこが頭打ちで、そこから下がっていくんでしょうね。だから、常に新しいもの、患者さんにとっていいものを自分のものとして、一人でも多くの患者さんを救えるような技術なり、知識なりを身に付けたいなというふうに思いますね。

――モチベーションが高い目標ですね。

杉谷:僕は長いこと、竹田診療所にいて、それまでは内科だったんです。その後ずっと内科でいこうと思っていたんですけれど、病院に外科がなくなってしまって、それで外科をやる人物がいないということで、外科研修をして、今も内科と外科と両方をやらせていただいているような状況なんですね。
総合診療科っていうようなところと、外科というところと、両方医長という形で置いていただいているんですが、これからも外科で手術もするんだけど、内科の患者さんも小児もいろんな患者さん、高齢者からちっちゃい子まで自分が出会った患者さんをきちんと診れるような医者をやり続けたいですね。

――このお仕事を先生は16年やってこられて、いま、どういう感想をお持ちでしょうか。

杉谷:どんな職業の方もそうだと思うんですが、自分の職業ってすごくいい職業だと思ってやっていると、僕は信じているんです。お医者さんになって、もしもう1回死んで生まれ変わるというようなことがあったら、今度もやっぱりお医者さんになりたいなというふうに思います。

――それはやっぱり患者さんと触れ合う中でのやりがいっていうものを、強く感じられているからですか?

杉谷:そうかもしれませんね。やっぱり、患者さんがよくなって帰っていくちゅう、そのサイクルは、やっぱり非常にやりがいがあるし、例えお亡くなりになったときでも、ご家族の方から、残念な結果なんやけど、「本当にありがとうございました」というふうに言っていただいた時は、ありがたいですよね。本当は患者さんを救えて、みんなが助かるのが一番いいんやけど、やっぱりそうはいかないので・・どうしてもそういかなかった時でも、「本当によくしていただいて」っていう、あの言葉がいただけたときっていうのは、自分は頑張ったんだなというふうに思いますよね。

ときには、自分の時間がやっぱり取れなくて、休みも長く取れない時はもちろんあるんだけど、それを差し引いても、やっぱりこの仕事でよかったなというふうに思いますよね。
その気持ちっていうのは、若手のお医者さんにも伝えたいんですよね。

どの仕事も大変だけど、お医者さんの仕事っていうのは、お医者さんの仕事なりにやっぱり大変な側面がある。だけど、その大変な分だけすごくやりがいもあるんだよっていうことを伝えてあげないといけん。

社会人として、医者として、方向性をきちんと付けてあげるという中にそれは含まれるのかなと思うんですけれども、本当に人生をかけるだけの価値がある仕事だよっていうふうに教えてあげんといかんですね、僕たちは。