――そういう先生の気持ちをお話して、研修医の方の受け止めとしては、いかがでしょうか?

中野:もう少し余裕ができてくると、「あ、そういえばこんなことを指導医が言っていたな」とかきっと思い出してくれるだろうなと思っているので、やっぱり、何度も伝えていくことが大事だよなと思っています。

あと、ちょっと今後のことなんですけど、カンファレンスももっとそういうところに焦点を当てたようなカンファレンスができるようにしたいと思いますね。
そういう工夫をこれからは、もっともっとしていかないといけないかなと。
そこはどうしても、救急・重症っていうところに片寄ってしまっているきらいはあるので、それを今後もっと補うような形での研修の場っていうのは、これからたくさんつくらないといけないなと考えています。

――そういう先生の考えは、若い頃から先生ご自身が持つようになったのか、それとも指導医の先生の影響ですか?

中野:そうですね。両方あったかなとは思います。僕は学生の頃から、離島医療に関心を持っていたほうですけど、それこそ離島に学生の頃に行ったりして、離島の大変な中で頑張ってる医療機関っていうのがあるっていうのを知ったので、そこから自分のスタートがあるとは思うんですけども。やっぱり、研修に違いがあっても、事有るごとに指導医の先生たちからそういう視点でいろいろ教えてくれたことっていうのが身になっているのかなと思いますね。

――先生はなぜ医師を目指されたんですか?

中野:私自身の最初のスタートから言うと、家庭の環境があった訳ですね。
母が看護師だったので、近くに医療の場というのがあったのが最初のきっかけにはなったというふうに思います。
最初はそんなに大それたことは何も考えてるわけじゃなかったんですが、ただ、いろいろさっき言ったようなことを考えるようになったのは、医学部に入ってからですね。

――先生が医師になられてから、やりがいみたいなものは感じられていますか。

中野:そうですね、医師をやってきて、当然、自分の思ったことがまだまだやれているわけじゃないと思うんですが、目指していこうと思っているものをある意味、見失わずに少しでもこだわりながらやれてるっていうところは、いい仕事だなって思いますね。

少なくとも、学生時代の思いっていうのを、忘れずに時々思い出して、それが生かされているような場面っていうのがあって、それをやっぱり若い人たちにも伝えるっていう、そんな医者の仕事の大事な部分っていうのを忘れずにやれてるのが、自分の今の充実感にはつながっているのかなと思いますね。

――いま、充実されているということですね。

中野:さっき言ったように、当然、まだまだ足りてない部分はあります。まだまだ、何をしたい、これをしたい、こうしないといけないっていう思いのほうが強いんですけれど、ただ、積み上げてきたもの、ここの方法は間違ってないなっていうふうにも思うので、そういうふうに思えていること自体は、いいんじゃないかなっていう。

――これから先、例えば10年、20年スパンでもけっこうなんですが、先生の目標や夢などはありますか。

中野:そうですね。ウチの病院とか、県民医連とかっていうところで考えたときにですけれど、せっかくこういう積み上げてきたものというか、大変な中で離島を支えながらつくってきた病院なんで、このスピリッツを忘れないで引き継いでくれる人たちをやっぱりしっかりつくっていかなきゃいけないなっていうことを思っています。

そうですね…、いま、両極端な状況にあると思うんですね。専門医療をとにかくしっかり目指して、研究専門的な力を身に付けたいっていう若い人たちの思いと、あと、一方でやっぱり僕らが大事にしてきたような、患者さん丸ごととらえて、総合的に診ていくのもすごく大事なんだっていうことを思いますね。本当は、両方補え合えるはずなんですけど、それがなかなか現場ではうまくいっていない面というのが多々いろんなところにあるので、それがうまく混ざり合ってマッチすると、お互いでいい仕事ができるような、そんな病院が望ましいというふうに思っているんですけどね。
それでこそ、総合性であり、専門性なんじゃないかなと思っているんですけど。

そういうイメージをもっとみんなそれぞれ好きなところ、得意なところ、いいとこがあるんで、それがうまく混ざり合ったときに、集団として総合的な力として発揮されるような、そんな病院ができればなあということですけど。
そんな病院になっていってほしいなと思ってますね。